10月27日は、佐井村の名誉村民、三上剛太郎先生の命日だそうです。
(明治2年生まれ、昭和39年逝去)
お寺に行く機会があったので、お参りしてきました。
せっかくですので、三上先生について紹介しましょう。
三上剛太郎先生は、明治2年に生まれ、軍医として日露戦争に従軍しました。
ロシア兵に包囲され全滅の危機に陥った時、とっさに「手縫いの赤十字旗」を作って掲げ、保護していたロシア兵1名を含む70余名の命を救った逸話で知られます。
生まれた家が、佐井村で記念館(三上剛太郎生家)として保存されています。
館内には資料の展示のほか、昔はこの家で診察もしていたので、診察室の跡も残っています。
いきなり話が逸れますが、この記念館の案内をしている女性に
「今日が剛太郎先生の命日って知ってる?」と尋ねたところ、
「剛太郎先生が亡くなった同じ日に、私の母が生まれたんです。母の実家はこの近所なんですけど」
と返されました。いやはや。
剛太郎先生が生活し、勉強していたという部屋も保存されています。
三上先生は、日露戦争のエピソードは大変インパクトがありますが、それだけではありませんでした。戦後、村に戻って熱心に村民の命や健康を守ったそうです。
貧しい人からは治療費の代わりに野菜をもらったり、時には、私財で医療機器を買ったり、往診に行くための船を買ったりしたとも言われます。
当時としては大変高価なレントゲン機器が、記念館に展示されています。
また、医者としてだけでなく、一人の人間としても、「生涯勉強」と言って80歳でフランス語の勉強を始めるなど、周囲から尊敬を集める人柄でした。
大間のほうから佐井村に入ると、「赤十字の旗 ひるがえる里」という看板が目に入ります。
佐井村の中学生は赤十字の活動やボランティア活動に非常に熱心です。言葉だけでなく行動で示してくれていることに感心します。
三上先生の「仁愛の精神」「生涯勉強の心」といった考え方が、村民に広まって受け継がれています。
(展示施設「三上剛太郎生家」は11月以降は4月末まで冬季休業に入るそうですので、一般の見学ができなくなります。佐井村のまちあるきツアー(要予約)への参加者は一般の方でも見学可能です)