2016年8月、有名な青森市のねぶた祭りで、青森菱友会さんのねぶたとして、佐井村の箭根森(やのねもり)八幡の鬼伝説をもとにしたねぶたが作られ、祭りがにぎわいました。
今回は、その伝説の紹介と、
実際に鬼はいたのか、というまあどうしようもない考察です。
ねぶた祭りの行われた日の中で、8月5日の1日だけでしたが、佐井村からバスなど車数台で70人ほどが参加しました。
いかんせん4時間ほどかかる遠い場所で、さらに泊まる場所もなかなかないので日帰りで大変でしたが、
「跳人」として参加した中高生などはがんばって祭りを盛り上げていました。
さて、鬼伝説についてです。
佐井村の箭根森八幡宮は、平安時代、鬼退治にやって来た源頼義が神にご加護を祈り、弓矢を手にした八幡神が現れ、鬼退治に成功し、感謝した頼義が神を祀ったのが始まりであるという伝説です。その時の矢が通り過ぎたのがヤゴシ(矢越)、矢が流れ着いたのがイソヤ(磯谷)という話もあります。
まあ、今の時代の科学から考えれば、「オニ」とか「カミサマ」というのは眉唾物だ、という考えになるのかもしれません。
しかし、伝説になるオニとかカミサマというのは、例えば風だったり嵐だったりといった実在したものが、姿を変えて人の心の中に残ったものだったりします。
950年も前の話なんてわかりませんが、佐井村以外の「源頼義」という人の来歴によると、有名な源頼朝や義経の祖先にあたる人で、東北地方を征伐に来た将軍だったとのことです。そして、頼義が東北地方の豪族・安倍氏を滅ぼしたのが1062年で、この戦いを前九年の役といいます。前九年の役最終年に頼義が八幡宮を勧請したとされています。
つまり、鬼として伝説に残ったのは、詳細はわかりませんが、この地方に先に住んでいた人、頼義に敵対した人だと思われます。もしかすると、アイヌの言葉が中心で、頼義側とはコミュニケーションを取れなかったかもしれません。そうだとすると、コミュニケーションの取れない相手を鬼と捉えた可能性もあります。
ちなみに地名については、伝説は後付けだと思われます。例えばヤゴシという地名は、アイヌ語で、断崖絶壁のために海岸を行くことができない、丘を通っていく場所、ということを指しており、東北・北海道に同様の地名があります。そして、岩手のほうにも、「頼義が前九年の役に矢を放って超えたから矢越」というまったく同じ伝説があるそうです。あちこちで矢を放ちすぎだね、頼義さん。
伝説は伝説として楽しめばいいのですが、
鬼退治という話は、戦争をきっかけにして作られたものです。
これからの平和のため、もう鬼が出てこない社会にするための教訓にしていきたいものです。